上书谏击匈奴右地
臣闻之,
救乱诛暴,
谓之义兵,
兵义者王;
敌加于己,
不得已而起者,
谓之应兵,
兵应者胜;
争恨小故,
不忍愤怒者,
谓之忿兵,
兵忿者败;
利人土地货宝者,
谓之贪兵,
兵贪者破;
恃国家之大,
矜民人之众,
欲见威于敌者,
谓之骄兵,
兵骄者灭:
此五者,
非但人事,
乃天道也。
间者匈奴尝有善意,
所得汉民辄奉归之,
未有犯于边境,
虽争屯田车师,
不足致意中。
今闻诸将军欲兴兵入其地,
臣愚不知此兵何名者也。
今边郡困乏,
父子共犬羊之裘,
食草莱之实,
常恐不能自存,
难以动兵。
军旅之后,
必有凶年,
言民以其愁苦之气,
伤阴阳之和也。
出兵虽胜,
犹有后忧,
恐灾害之变因此以生。
今郡国守相多不实选,
风俗尤薄,
水旱不时。
案今年计,
子弟杀父兄妻杀夫者,
凡二百二十二人,
臣愚以为此非小变也。
今左右不忧此,
乃欲发兵报纤介之忿于远夷,
殆孔子所谓吾恐季孙之忧不在颛臾而在萧墙之内也。
愿陛下与平昌侯乐昌侯平恩侯及有识者详议乃可。